ペンシルロケット実機(部分)の発見について

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ページ番号 1033895  更新日  令和7年3月25日

 1955年4月12日、東京都北多摩郡国分寺町(現在の国分寺市)にあった新中央工業跡地において、東京大学生産技術研究所の糸川英夫教授が率いるチームにより、戦後日本初のロケット発射実験が行われました。国分寺市ではこれを顕彰するためのさまざまな取り組みを進めています。2025年は、ペンシルロケット水平発射実験から70年を迎えることから、70周年の記念事業の一環として「ペンシルロケットを探せ!キャンペーン」を実施しています。
 この度、東京都江東区豊洲の「i-muse (アイミューズ)」に展示されているペンシルロケット(株式会社IHI所有)に対し、専門家による鑑定を行った結果、一部が実機であることが確認されましたので、ご報告いたします。

専門家によるコメント

ペンシルロケットの尾翼等
写真:標準型ペンシルロケットの尾翼筒、燃料、燃料押さえ板 (JAXA提供)

 i-museにレプリカとして展示されているペンシルロケットの尾翼筒部分が実物なのではないかとは10年ほど前から気づいていましたが、このたび国分寺市の計らいで手に取って鑑定する機会をいただきました。その結果、レプリカとされていたものが、尾翼筒の実物のみならず、通常では観察が困難なロケット内部に「燃料押さえ板」の実物を含むものであることを確認しました。この部品は燃料の吹き抜けを防ぐために導入されたものであり、発射実験に使用することが想定されていました。尾翼筒の実物の発見は、2015年の国分寺市の記念事業を通じて鑑定・発見され国分寺市に寄贈されたもの以来であり、今回が15例目となります。当時の状況を知る関係者も高齢化が進み、貴重な実機の散逸が懸念されるため、鑑定の相談が寄せられることを願っています。

 なお、ペンシルロケットの国分寺での発射実験は、機体の重量バランスや燃料の量、尾翼角などの条件を変えて1955年4月12日から23日にかけて27回行われましたが、今回実物であることが確認された尾翼筒は、燃料全量、尾翼角5°に対応するものです。同型の尾翼筒を用いた発射実験は5回行われましたが、今回確認された尾翼筒が実際に発射されたかどうかは不明です。

 レプリカのノーズ部分を含めた機体構成はFull-25D(燃料全量、ジュラルミン製ノーズ、尾翼角5°)で、株式会社IHIエアロスペースが所有し野口聡一宇宙飛行士とともにスペースシャトルSTS-114で地球を周回したものと同型です。

(阪本成一 国立天文台教授/総合研究大学院大学教授)

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