ペンシルロケット実機の発見について

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ページ番号 1034066  更新日  令和7年4月11日

 1955年4月12日、東京都北多摩郡国分寺町(現在の国分寺市)にあった新中央工業跡地において、東京大学生産技術研究所の糸川英夫教授が率いるチームにより、戦後日本初のロケット発射実験が行われました。国分寺市ではこれを顕彰するためのさまざまな取り組みを進めています。2025年は、ペンシルロケット水平発射実験から70年を迎えることから、70周年の記念事業の一環として「ペンシルロケットを探せ!キャンペーン」を実施してきました。
 このたび、このキャンペーンを通じてペンシルロケットの所有情報が寄せられ、専門家による鑑定を行った結果、実機であることが確認されましたので、ご報告いたします。

 なお、この機体は所有者のご厚意により、2025年4月12日のペンシルロケット水平発射実験70周年記念式典において、参加者に向けて公開されます。その後の一般公開については調整中です。

専門家によるコメント

ペンシルロケット実機
写真:新たに実機であることが確認された標準型ペンシルロケット (所有者提供)

 このたび鑑定を依頼された機体は、東京大学生産技術研究所で糸川英夫氏らとともにKappaロケットの実験に従事し、その後、航空宇宙技術研究所(NAL、現在はJAXAに統合)でNALロケットや短距離離着陸飛行実験機「飛鳥」の開発にも従事した、日本での複合材料研究の先駆者である古田敏康(ふるた・としやす)氏(故人)が、糸川氏から直接譲り受けたものだとのことです。

 標準型ペンシルロケットには、燃料の量、機体の重量バランス、尾翼角などの条件を変えるためにさまざまな構成がありますが、この機体の構成はFull-30S(燃料全量、3ピース、尾翼角0度、鉄製ノーズ)と呼ばれるもので、主要部品であるノーズ、燃焼室、尾翼筒のすべてが実機です(ただし燃料の吹き抜けを防ぐための燃料押さえ板は含まれていません)。同型のものとして、現時点でほかに2機の実機、尾翼筒に限るとさらに2機(うち1機は国分寺市が所有)の存在が確認されています。

 この機体のジュラルミン製の燃焼室の内側には、劣化が見られるものの白いアブレーション塗装の跡が残っており、実射の準備ができていた機体であったと思われます。

 なお、部分を含む標準型ペンシルロケットの実機の確認は、このキャンペーンを通じて先月鑑定・確認された、IHIものづくり館i-museにレプリカとして展示されていたもの以来であり、今回が16例目となります。キャンペーンを通じて貴重な資料を特定できたことをうれしく思います。当時の状況を知る関係者も高齢化が進み、貴重な実機の散逸が懸念されるため、引き続き鑑定の相談が寄せられることを願っています。

(阪本成一 国立天文台教授/総合研究大学院大学教授)

このページに関するお問い合わせ

市民生活部 文化振興課 文化振興担当
電話番号:042-312-8610 ファクス番号:042-325-1380
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