中藤新田分水跡【市重要史跡】

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ページ番号 1029384  更新日  令和5年10月12日

中藤新田分水跡画像

 国分寺市教育委員会は、令和4年9月30日付で中藤新田分水跡を市重要史跡に指定しました。
 中藤新田分水は、現在の国分寺市北西部から立川市北東部一帯に広がる武蔵野新田のうち、中藤新田・平兵衛新田・榎戸新田・野中新田・戸倉新田・砂川前新田(立川市)が利用した玉川上水の分水で、享保14年(1729)に砂川新田地先の羽ヶ下(立川市)に分水口を設置した飲み用水です。新田村の基幹水路としての役割を担っていました。元治元年(1864)、分水口の木樋の腐食により分水の取水先を移動したところ、伏替え工事は難航し、慶応4年(明治元年・1868)に暗渠の堀(胎内堀)を敷設しました。その範囲は玉川上水の分水口より立川・国分寺市境まで約981mに及びます。その後、玉川上水の通船計画が明治政府によって通達されたことに伴い、明治3年(1870)6月に分水口が統廃合されると、中藤新田分水は五日市街道沿いに流れる砂川用水を介して取水することになり、市境から下流付近までの約754m、胎内堀が延長されました。
 市内各所に張り巡らされていた分水の多くは水道の普及とともに役割を終え、排水施設への再利用や一部埋め立てなど、その姿は大きく変貌を遂げているのが現状です。このようななか、中藤新田分水は、開渠の堀から暗渠の堀(胎内堀)へと作り替えた構造上の歴史的変遷がとらえられることに加えて、玉川上水の分水としては貴重な胎内堀が良好な状況で地中に残されています。地域で暮らしていた村民が、自らの飲み水確保のため苦難の末に工事を成し遂げた土木遺産として貴重な史跡と考えられます。
 なお、胎内堀は発掘調査後に保護のために埋め戻され、内部見学はできない状態となっています。

所在地

国分寺市西町4丁目6番地21他

地図

中藤新田分水跡【市重要史跡】の地図

このページに関するお問い合わせ

教育部 ふるさと文化財課 史跡係
電話番号:042-300-0073 ファクス番号:042-300-0091
〒185-0023  国分寺市西元町1-13-10
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。